バンクールには歩いてしか行かれないのだと聞かされた。
その話を僕にしたのは、大学二年の夏に僕が住み込みで働いた旅館にいた女性で、
仙泉閣というその旅館は登山鉄道の小さな駅の傍にあり、裏には石造りの陸橋と早瀬があった。
夏の間だけ間借りしている僕は仕事が終わると部屋には居づらくて、
客がチェックアウトした部屋の掃除を終えるとここにきてひとり水の流れるのを見ている。
枝葉がびっしりと空を覆っているためにいつも薄暗く、空気は水を含んでいる。
ある日も同じようにそこへ行くと、彼女がいた。僕が気づかなかったふりをするよりはやく
「座りなよ」と彼女が言った。
「雅美さんもここにいらっしゃるんですね」といって僕は 、
まるで邪魔されたかのような口ぶりになってしまったことを恥じた。
どうして今日はここにいるのですかと聞こうと思ったけれど。
それから彼女はバンクールについて僕に告げた。
僕は今も歩いているし、きっと彼女も歩いているだろう。 |